【新楽団員を訪ねて】竹澤恭子さん(ヴァイオリン)、インタビュー掲載!

音 楽

2015 11 07

【新楽団員を訪ねて】竹澤恭子さん(ヴァイオリン)、インタビュー掲載!

水戸室内管弦楽団に新しく加わった演奏家ひとりひとりの、かけがえのない物語をお伝えするシリーズ「新楽団員を訪ねて」。続いて、現在パリを拠点として国際的に活躍しているヴァイオリニスト、竹澤恭子さんのインタビューをお届けします。幼少の頃の海外の音楽経験、名教師としてしられるドロシー・ディレイ氏との出会い、インディアナポリス国際コンクール優勝後の世界的な活躍の日々など、貴重なお話を伺いました!


―水戸室内管弦楽団(MCO)に楽団員としてご参加くださいまして、誠にありがとうございます。まず竹澤さんは、どんなきっかけでヴァイオリンを始められたのかお聞かせいただけますか?

3歳の誕生日プレゼントがヴァイオリンでした。当時私のいとこたちがヴァイオリンを習っていて、年に1~2回、親戚が集まる時に弾いてくれて、その音色が好きだったんです。私は愛知出身ですが、ある夏休み、祖父母も両親も長野出身で、みんなでそちらに集まった時、山で雷が鳴って停電になったことがありました。私は雷が苦手なので怖がっていたら、いとこたちがヴァイオリンを出して弾き出したんです。それを聴いているうちに気持ちがほぐれて、幼いながらに「音楽の力」で楽しくなれました。それで私もヴァイオリンを習い始めたんです。スズキメソードの本部が松本にあったので、いとこたちはそこで学んでいて、私も名古屋の東海支部に通いました。

 

―竹澤さんは、小学生の頃から欧米で演奏される機会があったそうですね。

ええ、当時スズキメソードの先生が毎年全国から10名の生徒を選び、秋に一か月間ほど欧米ツアーを計画されていたんです。私は小学1年生から4年生までの計4回参加しました。英語はできませんでしたが、言葉は通じなくても、自分の演奏に対してスタンディングオベーションになったり、涙を流して感動してくださる方がいて。「一生懸命演奏したら音楽で何かが伝えられる」という経験が忘れられず、毎年ツアーに選ばれたいと思い、頑張って練習を続けました。また、自分が今まで見たこともない世界に行ける楽しさもありました。ツアーでは現地にホームステイ。私は愛知の小さな町で暮らしていたのでカルチャーショックもありましたが、そこから世界が開けました。海外旅行に頻繁に行ける時代ではなかったので、本当に大きな経験でした。3日に1回くらい演奏会があり、ニューヨークのカーネギーホールやフィラデルフィアのアカデミーホールなど、様々なところで演奏させていただきました。後になって嬉しかったのは、1986年に第2回インディアナポリス国際コンクールに優勝し、いろんな都市を演奏会でまわった時、「昔あなたが小学生で弾きに来たとき、演奏を聴いたのよ」と言ってプログラムを持ってきてくださる方がいたこと。本当に感激しました。

 

―そうしたご経験をきっかけに、プロの演奏家を目指されるようになったのですね。

はい。将来ヴァイオリニストを目指すなら、さらに踏み込んだ勉強が必要だったので、愛知から2週に1度、東京にいらっしゃる小林健次先生に習い始めました。先生から「常に目標があった方がいいから、学生コンクールを受けてみたらどうか」とご提案頂いて。小学5年生の時に全日本学生音楽コンクールを受け、優勝できました。いま思い返すと、小学校低学年の頃から、海外ツアーに行きたいとか、コンクールを目指そうとか、いい目標を持てたことが続ける助けになったと思います。

 

―その後上京され、桐朋女子高等学校音楽科を卒業、渡米されました。留学先としてジュリアード音楽院を選ばれたのはなぜですか?

それまでもアメリカを身近に感じてはいたのですが、小林健次先生に習ったことが大きいです。小林先生は、幼少時代に鈴木鎮一先生(スズキ・メソードの創始者)に習い、ジュリアードに留学し、イヴァン・ガラミアン先生と勉強された方です。ですので、ジュリアードのことはよく聞いていましたし、自分にも合いそうだと感じていました。具体的なきっかけは、高校1年生の冬。小林先生がよくご存知のドロシー・ディレイ先生が学校にいらして、マスタークラスを受ける機会があったんです。そのとき、私がそれまで出会った先生にはない特別なものを感じて、将来この方について勉強したいと感じました。高校2年生の夏には、ディレイ先生が教えていらっしゃったアスペン音楽祭にも何週間か習いに行きました。そこにはたくさんのジュリアードの学生が勉強していて、学生でありながらプロとして演奏活動している方も目の当たりにしました。積極的な音楽作りをしているのが刺激的で、ぜひこういう環境で勉強したいと思いました。それから当時、イツァーク・パールマンさん、ピンカス・ズッカーマンさんをはじめ、ニューヨークで話題の若手演奏家もたくさん来日していて、それも刺激になりました。

 

―留学生活はいかがでしたか?

「いつかカーネギーホールで演奏したい」「アメリカの5大オーケストラと共演したい」という夢を抱いていた18歳の自分にとって、24時間止まることのないエネルギッシュなニューヨークはいい環境だったと思います。また皆さんレベルが高く、常に競い合う感じでしたが、私はゴーイング・マイ・ウェイなところもあり、入学後も揺らぐことなく目標に向かっていました。

私は高校1年生のときに日本音楽コンクールで優勝し、海外派遣コンクールでも賞を頂いたので、留学中もどのコンクールを受けようか考えていました。そして、1986年にチャイコフスキー国際コンクールがあったので、エントリーしました。でもその2か月前にチェルノブイリ原発事故が起きたんです。的確な情報も入らない中、私もまわりに相談し、リスクを伴うところへ無理に行くのは避けることになったのですが、それで目標がなくなってしまって…。でもそのときディレイ先生が、「アメリカがそれに匹敵する規模で作った新しい国際コンクールがある」ということを教えてくださいました。4年に1回の開催で、86年が2回目。審査委員が、コンクールを創始されたジョゼフ・ギンゴールド先生、ヘンリク・シェリング先生、ルッジェーロ・リッチ先生、フランコ・グリ先生などそうそうたる顔ぶれ。そういう方たちに演奏を聴いていただけるチャンスだと思い、受けることにしたんです。

 

―その第2回インディアナポリス国際コンクールで、見事優勝を遂げられました。

副賞として、30~40回ほどの演奏会リストをいただきました。さらにはカーネギーホール大ホールでのリサイタルやレコーディング契約など、すごいことが書いてあって。優勝は嬉しかったですけれど、まだ勉強したいこともたくさんあったので、戸惑いもありました。でもカーネギーホールでのデビューはとても大きいことでしたから、先生と相談し、まずその前にいろいろ経験を積むことにしました。そうするうちに、徐々に演奏会をするペースや、どう準備するかについてもわかりました。

 

―ドロシー・ディレイさんは名ヴァイオリニストを数多く育てられたことで有名ですが、どんなところが特別だと感じられましたか?

先生は柔軟性を持っていらして、先生ご自身が新しいことをどんどん学ばれて吸収される方でした。決まった弾き方を教えるというより、生徒がその曲をどう感じて何を伝えたいのかを聞いて、生徒にその音楽を創らせる事を積極的にさせていました。日本にいた頃の私は引っ込み思案なところもあり、先生に言われたことはきっちり仕上げるけど、それ以外にやりたいことがあっても思いきって出すところまでいってなかったと思うんです。でも海外では、イエス・ノーをはっきり言わないと伝わりませんから、先生はそのあたりを見抜いて「あなたはどう感じているの?」「それならここまで表現しないと伝わらないですよ」と、常にプロの演奏家になることを目標に教えてくださいました。オーケストラと共演するということは、指揮者と100人あまりの演奏家の方々と相対するわけで、自分の音楽に説得力がなければいい演奏は絶対できません。先生は、表現したいことを常にはっきり持つことの大切さと、いろんな表現方法を具体的に教えてくださいました。その後、自分の演奏スタイルがどんどん見えてきた気がします。

 

―そのほか、授業で特に記憶に残っていることはありますか?

当時週に1回、生徒が5、6人集まって弾きあい、ディスカッションをするマスタークラスがありました。ディレイ先生が「今の演奏をもっと良くするには、どうしたらいい?」と質問をし、それについてアイディアを出し合うんです。日本では、友達の演奏を聴くことはあっても、「改善すべきところをどう克服するか」について話す機会はありませんでした。だから最初は戸惑いましたが、その経験を通じて聴く耳も育ったし、その演奏を良くするにはどうしたらいいか考える頭を持つようになり、自分の弾いたものが相手にどう伝わったかを知る機会にもなりました。それに先生は、各生徒の個性にあわせた指導法のアイディアをたくさん持っていらっしゃるんです。それがすごく新鮮でした。

 

―留学中は、MCOのヴィオラ奏者であり、また現在に至るまでジュリアード音楽院で教授を務めていらっしゃる川崎雅夫さんにも教えを受けられたそうですね。

ええ、川崎先生と勉強できて良かったことは、自分がイメージした音を具体的にどのように出すか、たくさんアドヴァイスをいただけたことです。「楽器のサウンディングポイントをつかむ」、つまり一番自然に楽器を鳴らし、遠くまで届く音を作るために、例えば駒から指板の間のどこをどんな圧力、スピード、ヴィブラートで弾くとよいか、それまで感覚的にしか捉えていなかったことが、ぱっと整理できるようになりました。留学後1年くらい、そういうことを中心に教えて頂き、自分の音楽表現の幅を広げるきっかけになりました。川崎先生にはアスペン音楽祭をはじめ、ジュリアード音楽院でも、学校ではもちろん生活面でも、本当に何から何までお世話様になりました。留学生活は大変なこともありますが、よくご自宅でのパーティーに呼んでいただき、精神的にも助けて頂きました。

 

―第2回インディアナポリス国際コンクール優勝から現在に至るまでで、特に印象に残っている演奏会について教えて頂けますか?

それは本当にたくさんありますが、受賞の3年後、カーネギーホールでのリサイタルは、自分の音楽人生の中で最も印象に残るコンサートの一つでした。また留学中はニューヨーク・フィルの演奏会によく行っていたんですが、同じ頃、ニューヨーク・フィルと初共演する機会をいただき、ズービン・メータさんの指揮でバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番を演奏しました。この曲は、私にいろんな機会を与えてくれた作品です。コンクール本選でも、この曲を演奏しましたし、その後、色々なところでデビューする大切なコンサートで演奏してきました。私はこの曲を、ニューヨーク・フィルとアイザック・スターンさんのCDでよく聴いていたので、私もそのバルトークの作品をニューヨーク・フィルで演奏できて幸せでしたし、次への原動力にもなりました。

 

―2009年にニューヨークからパリへ移られたそうですね。

家族ができて、もう少し落ち着いた街で生活したいと思ったんです。ニューヨークのマンハッタンは、若い頃は24時間ノンストップみたいな刺激が良かったのですが、落ち着いた生活ではありません。それにヨーロッパの空気感や音楽創りも魅力的でした。主人も昔ウィーンで生活していたことがあり、ヨーロッパでもう一度生活したいということになって。フランスは一番ヨーロッパ的なエッセンスが感じられるので、パリに移りました。実は若い頃、私はフランスとあまり縁がないと思っていました。フランス音楽はいつも頭を悩ますというか、ヨーロッパの中で一番遠い存在だったんです。だからこそ、あえてそういうところに行き、何か感じられればと思いました。

実際暮らし始めてみると、前ほどフランス音楽に対して苦手感や抵抗感はなくなりましたし、フランスの方は本当に芸術を愛しているので、そういう場所で生活できて幸せです。生活のペースもニューヨークと全然違います。フランスに移住したのは6月の終わりだったんですが、町ががらんとしていて…ヴァカンスシーズンでした。フランスでは、ヴァカンスは思いきり楽しんで、9月からはまた切り替えてヴァカンスのために働くというように、徹底的に人生を楽しんでいる方が多いですね。こういう生き方もあるのかと思いました(笑)。

 

―新しい価値観との出会いですね。

もちろん自分が芯に持っているものは変わらないと思うんですが、演奏する際、アメリカでは常に「積極的に何かを出さなければ」と意識していました。会場も、響きが少ない広いホールが多いので、確実に人に表現を伝えるために、プラスプラスで音楽を創る感じがありました。ヨーロッパに来てからは、違う方向からも説得力のある音楽は作り出せると思えるようになりました。ヨーロッパの音楽祭で室内楽をする機会が増えたのですが、そうすると彼らがどう音楽を創っているかがよくわかります。それも新鮮でしたし自分の幅を広げてくれるので、アメリカとヨーロッパ両方で生活できてラッキーです。

 

―娘さんもヴァイオリンをやっていらっしゃるとか?

やってはいるんですけどなかなか(笑)。ゆっくりやっています。それから、フランスには2週間くらいのヴァカンスが年に5回ほどあるので、時期があえば娘もツアーに連れていったりもします。

 

―世界の第一線でご活躍される日々、どんなことを心がけていらっしゃいますか?

いい音楽は、自分が一生懸命弾くだけでなく、共演者とのコミュニケーション、ホールの空気や響き、そしてオーディエンスが一体となった時に生まれると思っています。そして自分は聴いてくださる方にメッセージを送るわけですから、自分がどれだけ深く作曲家を理解して、説得力のある音楽ができるか。ただ正確とかきれいということではなく、聴く人の心に響く、立体的な音楽作りができたらと常日頃思いながら演奏活動しています。

 

―MCOにご参加いただくにあたっての抱負をお聞かせいただけますか?

私は今までソリストとして、オーケストラとの共演やリサイタル、少人数のアンサンブルといった演奏活動をしてきましたので、チェンバーオーケストラでの演奏は新しい経験です。前回、水戸でベートーヴェンの交響曲 第4番を演奏しました。私はこれまでベートーヴェンのソナタやコンチェルト、室内楽を弾く機会はありましたが、オーケストラの中で呼吸しながらシンフォニーを創る経験はしてきませんでしたから、作曲家のいろんな面を理解する上でとても勉強になります。これから演奏会の度にいろんな作曲家について勉強できることが楽しみです。そして素晴らしいメンバーの方々と一緒に音楽創りをさせて頂けることも、光栄で嬉しいことです。この経験が、自分の将来の音楽創りに確実につながっていくと思います。

 

―今後の夢などをお聞かせいただけませんか?

最近は、室内楽を演奏するときが特に勉強になるし、音楽をやっていてよかったと思う瞬間です。ですので、今まで出会ったアーティストの方々と室内楽の音楽祭みたいなものをできたら楽しいだろうなと思っています。それから私はカルテットの経験がなかなかないので、そういう機会も折をみて設けられたらと思います。あとは、これまでの経験を今後の若手の方に伝える機会も徐々に増やしていきたいです。

 

2015年5月 聞き手:高巣真樹

takasumaki
makit@arttowermito.or.jp